10年ぶりの日本国

日本国 にほんこく  555m  村上市    2018年5月6日(日)   夫&さあこ

小俣登山口7:14-蛇逃峠8:23-山頂8:38~9:40-蛇逃峠9:53-蔵王大権現10:31
-蔵王登山口10:34-小俣登山口11:00

初めて日本国に登ったのは新潟県森林浴の森100選の杭を探し始めた頃の2008/5/17。
運転も始めたばかりだったので夫のサポートを受けながら運転して、また登山をするなんて
全く考えていなかったのでカーディガンとスニーカーで登っていました。
今回も長靴で登ったのであまり変わりませんが(^^;

懐かしい登山口は変わっていません・・・が昨日が山開きで豚汁がふるまわれた模様。
豚汁は惜しいけど誰もいない静かな登山もまた良いものです。
暫くは杉林の中、登って行きます。
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10年前はあったかな~ 覚えてないですが松ヶ峰広場です。
ベンチが沢山あって広々して気持ちが良いです。
この後もなだらかな気持ちのいい新緑の道を行きます。
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沖見休憩所から粟島が良く見えました。
そこから少し登ると蛇逃峠、小俣登山道と蔵王登山道の分岐です。
横から登ってきましたが下りは向こう側に下ります。
ここから山頂まで500mと書いてありましたのでガンバ
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山頂にはこんな遊具のような展望台があり日本国旗がはためいていました
日本国には日の丸が似合う
避難小屋もあり、その展望台の看板には日本国の由来が

名峰「日本国」
「日本国」山名の起こりは諸説ありて定かではない。
人皇第三十二代崇峻(すじゅん)天皇は在位五年にして、時の権力者蘇我氏のために暗殺される。
その第一皇子、蜂子皇子はその時御年五歳である。聖徳太子は、皇子の身の上に魔の手の延びるのを案じて、
皇子を都より落しめた。さすらいの身となった皇子は、越の国の最はてに来て大いに産業を興し五十三歳で
出羽国羽黒山で没した。

皇子は、晩年この高山に登りて、故郷飛鳥のある未申の方位を指差して
「これより彼方は日本国」と仰せられた。これが「日本国」の始まりとも言う。

皇子なきあと、大和朝廷は大化の改新を行い、蝦夷地平定の大業を進め、越の国の要害の地に柵を設けた。
その渟足柵、磐舟柵、そして幻の柵と言われる都岐沙羅柵は、日本国と一致するとの学説もある。

又、江戸後期、遠藤太郎次なる若者がこの山の頂で見事な鷹を捕らえ、徳川十代将軍家冶に献上せしところ
将軍は「これは天下無双の鷹なるを持って、捕れた山を「日本国と」と名付けよ」と
貫したという言い伝えもある。まさに名峰「日本国」は、千古の謎を秘めしやまである。
                                             山北町

10年前は裏に笹竹が沢山生い茂ってネマガリタケがたくさん採れたのですが
今回見たら竹藪がかなり荒れていてちょっと残念。
10年前より10日早かったのでまだ1本も出ていませんでした

笹竹を探したりのんびりご飯を食べたりしていたら登山者がポツポツと登ってきたので帰ります。
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本当に新緑が美しいです。
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蛇逃峠から蔵王コースで下山します。
小俣から比べるとこちらはかなり急登で登りに使うとキツそう~。

登山口近くになると蔵王大権現がありますので(-m-)” パンパン
1805069.jpg 18050610.jpg

すぐに蔵王登山口です。

ここから小俣登山口までワラビを採ったり、趣のある小俣宿を散策したりとのんびり帰ります。
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本日の距離 5.2km 時間 3時間46分(休憩込)
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登山口ちょっと手前にラジウム清水があり水を汲みたかったけど人がいっぱいだったので
かなり戻って大毎にある「吉祥清水」で美味しい水を汲んで帰りました。
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